加藤嘉明書状〈八月十三日/小信州宛〉 かとうよしあきしょじょう

文書・書籍 / 江戸 / 愛媛県 

加藤嘉明
かとうよしあき
江戸時代前期
紙本墨書
1通
愛媛県西予市宇和町卯之町4-11-2
愛媛県歴史文化博物館

松山藩主加藤嘉明が書いた書状。竪紙を表装し一幅としている。加藤嘉明は豊臣秀吉麾下の武将で、賤ケ岳の七本槍の一員としても著名である。秀吉死去後、徳川家康に与し松山藩主として34年間の長期間治世を行い、その間に松山城も築城している。自署花押があり嘉明自筆と考えられる。内容は宛所の小出信濃守吉親に対し、来る22日の晩に松平山城(忠国)・松平伊賀(忠晴)・戸田采女(氏信)を招待したので是非おいでいただきたいという旨を伝えた書状。この書状の書かれた時期は、嘉明ほか4名の官途の就任年を検討した結果、元和元(1615)年〜寛永3(1626)年の12年間に絞られる。嘉明は文禄3(1594)年〜寛永4(1627)年まで伊予松山に封ぜられており、松山藩主時代に書いたものである。寛永3年8月の徳川秀忠・家光の京都上洛に諸大名が供奉しているが、書状中の5名はすべて供奉しており、その際に書かれたものと考えられる。差出は端裏部分を切取り、貼り継ぎしている。

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