鋤仕事をする農婦のいる家
すきしごとをするのうふのいるいえ
概要
鋤仕事をする農婦のいる家
すきしごとをするのうふのいるいえ
オランダに生まれたゴッホは、ブリュッセルで素描の基礎を学び、1881年、28歳の時、牧師であった父の任地であったオランダ南部のエッテンヘ赴く。この年の終わり、ゴッホは画家になることに反対だった父との衝突からハーグへ移り、ハーグ派の画家たちと出会っている。オランダ時代のゴッホの作品は、ハーグ派の画家たちや17世紀のオランダの巨匠たちの作品の影響を受け、全体的に落ち着いた暗い色調で描かれている。1883年、30歳の時、ハーグを起ったゴッホはやはり父が赴任していたオランダ北部のニューネンへ移る。この頃より、ゴッホは油彩画に本格的に取り組み、農民や職人、ニューネン近郊の風景を精力的に描いている。ニューネン時代は、農民画家としてのゴッホが形成されていった重要な時期で、オランダ時代のゴッホの集大成ともいうべき《馬鈴薯を食べる人たち》(1885年)が描かれている。本作は、《馬鈴薯を食べる人たち》が描かれた翌月の、1885年の6月に描かれた作品。ゴッホは弟テオへ宛てた手紙の中で、「今は、ここ(ニューネン)から2時間のところで仕事をしているので、全ての時間を有する。私が求めているのは、あといくつかのきれいな荒野の農家。既に4つ、前回送った大きさが2点と、小さいのがいくつかある。」と述べており、この作品は、この手紙の中で「いくつか」と言及されている作品。農民が暮らす場所を描くことは、ミレーを崇拝するゴッホにとって、農民の生活の厳しさや、自然との深い結びつきを表現する重要なモチーフであった。ゴッホは愛情を込め、農民の家を、雀より小さな野鳥のミソサザイの巣に喩え「農民の巣」と呼んでいる。その力強いタッチと落ち着いた色調は、大地に根ざして生きる農民のたくましさと、自然の持つ包容力を描きだしている。同じ時期に描かれた、同じモチーフの作品が、いくつも残っており、このモチーフがゴッホにとって、重要なものであったことが伺える。
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