河童の碑
はっぱのひ
概要
河童の碑
はっぱのひ
河童の碑は、牛久ゆかりの日本画家である小川芋銭(1868~1938)の芸術と人柄を敬慕した有志(池田龍一、犬田卯、飯野逸平、小林巣居、篠目篤、西山謙三、吉井忠、加藤鎮雄)により、芋銭が居住した城中町の小川家敷地内に建置され遺族に贈呈されたものである。
その建置の経緯は、芋銭の死後、昭和24年4月に犬田卯が芋銭の碑の建置を発案し、院展関係者に意見を求めたが、建置には至らなかった。芋銭の支援者であった池田龍一と西山泊雲が加わったことから実際の建設が始まったが、実質的には池田龍一と吉井忠により進められた。
碑の材料入手から監督・運搬については、池田龍一の知人で画家の吉井忠によって行われた。碑の材料は東京護国寺にあった根府川石を求め、彫刻も同じ場所で行われ、牛久まで運搬された。
尚、彫刻された河童の絵は、肉筆画ではなく、複製画を村井写真館で碑の大きさに引き伸ばしたものを用い、中村直人の監修の下、八柳恭次が2か月かけて彫り上げている。
経費は、有志の寄付により賄われた。
昭和27年5月25日に河童の碑の除幕式が行われ、小川家に残る碑贈呈書の日付も同日になっているため、河童の碑の建置日は「昭和27年5月25日」になる。
河童の碑には、碑を建置した人たちの氏名は刻されていない。これは、この碑が心より芋銭を敬慕する人々により建てられたことを証かしている。