於那羅合戦
おならがっせん
概要
河童や狐の絵で知られる日本画家、小川芋銭は、当時の新聞、雑誌の挿し絵や漫画、また高浜虚子の主宰する俳句雑誌『ホトトギス』に俳句や挿し絵を掲載するなど画家、俳人としても活躍しました。彼の絵の愛好家の招きで日本各地を旅した芋銭は、旅先での見聞をもとに描くことも多く、この作品は、1921年、芋銭が新潟の村杉温泉に滞在した際、絵の依頼者の語る民話をもとに着想され、旅から戻って仕上げられました。話は、新潟市の近くの村で毎年開かれる放屁の競技会には百人ほどの選手が出てその威力を競いあう…という内容で、これを絵にして、後々の笑い種にしたいという依頼者の悪戯心に応えた遊び心に満ちています。