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深江北町遺跡出土木簡・墨書土器

ふかえきたまちいせきしゅつどもっかん・ぼくしょどき

概要

深江北町遺跡出土木簡・墨書土器

ふかえきたまちいせきしゅつどもっかん・ぼくしょどき

木簡・木製品類 / 近畿 / 兵庫県

兵庫県

奈良時代後半から平安時代前半

木簡27点・墨書土器146点

173点

神戸市西区糀台6丁目

神戸市指定
指定年月日:20150325

神戸市

有形文化財(美術工芸品)

深江北町遺跡は東灘区東部の海岸部に位置し、東西方向の数本の浜堤と堤間湿地に立地していることが発掘調査によって明らかになってきている。浜堤上では弥生時代後期の掘立柱建物、弥生時代末から古墳時代初めの円形周溝墓、古墳時代後期の竪穴建物、飛鳥~平安時代の掘立柱建物跡などを確認している。
平成11年度の第8次調査では、「驛」を含む墨書土器が17点出土した(内指定候補10点)。平成12年度の第9次調査では、掘立柱建物が検出され、「承和」年号が記された米の支給木簡を含む木簡4点と、「驛」「大垣」などの墨書土器39点が出土した。支給木簡に記された人名の「椋人安道」は、平城京木簡や正倉院文書に見られ、渡来系と考えられる「葦屋椋人」「葦屋倉人」との関連を窺うことができる。平成23年度の第12次および平成24年度の第14次調査では「(葦)□(屋カ)驛長」と記された木簡や、天平十九年(747)の可能性の高い智識銭に関する木簡を含めて23点の木簡、「驛」「大垣」など98点以上の墨書土器が出土している。駅長宛ての命令伝達木簡が出土したことによって、葦屋駅家に関連する遺跡であることがさらに強まった。また習書木簡や多数の墨書土器、転用硯の出土は地方行政の職務が行われたことを示唆している。天平十九年の智識銭に関する木簡は、この頃は東大寺大仏鋳造のための智識活動が盛んな時期であることから、葦屋駅家などにおいても智識活動が行われていたことを示す重要な資料である。
当遺跡では奈良時代から平安時代にかけての円面(えんめん)硯(けん)、銅製帯金具、舟形などの木製祭祀具、馬歯など官衙(かんが)関連遺物が多数出土している。このような特殊な遺物が出土している事と、当遺跡の近隣に古代山陽道が比定されることから、この遺跡は葦屋駅家と強い関連を持つものと考えられる。また、この遺跡に接した北側は、芦屋市の津(つ)知(ぢ)遺跡となっており、平安時代前期の掘立柱建物が検出されているとともに「和同開珎」「万年通宝」といった皇朝銭や、墨書土器、銅製帯金具等が出土している。両者は同一の性格を持つ遺跡である可能性もある。
紀年銘や駅長の命令を伝える木簡、習書木簡、「驛」の墨書土器は、この遺跡が葦屋駅家に関係することを表す資料として重要である。

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