荻外荘(近衞文麿旧宅)
てきがいそう(このえふみまろきゅうたく)
概要
荻外荘は,昭和前期に総理大臣を三度務めた近衞文麿の別邸であり,政治会談や組閣が行われた場所である。JR中央線荻窪駅から南東の閑静な住宅街にあり,大正天皇侍医の入澤達吉が伊東忠太に設計を依頼して昭和2年(1927)に建てた別邸を近衞が昭和12年(1937)に購入した。
近衞は五摂家の筆頭近衞家出身で,貴族院議長などを経て総理大臣となった。昭和15年(1940),第二次内閣の組閣直前に行われたいわゆる荻窪会談は,近衞が外相・陸相・海相に就任予定であった松岡洋右・東條英機・吉田善吾を荻外荘に呼び,ドイツ・イタリアとの連携強化や南方進出などを話し合った。また,第三次内閣では,昭和16年(1941)の日米開戦約2か月前に,東條陸相・及川海相・豊田外相・鈴木企画院総裁を呼んだいわゆる荻外荘会談が行われた。近衞は中国における陸軍の駐兵問題での譲歩を東條に拒否され,日米交渉の糸口を見いだせぬまま内閣総辞職にいたった。そして終戦後の昭和20年(1945)に近衞は荻外荘で自ら命を絶った。
現存の建物としては,居住棟,別棟,蔵がある。近衞が自決した部屋がほぼ当時のまま残っており,保存状態は良好である。玄関や数々の会談の場となった客間棟は豊島区に移築されたものの,昭和期の政治の転換点となる重要な会議が数多く行われた場所として重要である。