織田氏の位牌
おだしのいはい
概要
織田氏の位牌
おだしのいはい
群馬県
江戸時代/1630、1650、1714、1731、1766、判読不明、1783、1818、1836、1674
木質
総高99.5㎝(初代 信雄)
総高97.0㎝(三代 信昌)
総高98.9㎝(四代 信久)
総高95.8㎝(五代 信就)
総高94.6㎝(六代 信右)
総高96.5㎝(七代 信富)
総高100.0㎝(八代 信邦)
総高97.5㎝(九代 信浮)
総高96.0㎝(十代 信美)
総高96.8㎝(織田 高長)
10体
甘楽町大字小幡1408番地2
甘楽町指定
指定年月日:20180131
崇福寺代表役員 山田勝政
有形文化財(美術工芸品)
崇福寺境内に位牌堂があり、織田信雄をはじめとする10体の位牌が祀られている。うち1体は判読不能であるが、八代信邦の位牌に似ており、七代信富の位牌の可能性が推考される。
織田信長次男の信雄は、元和元年(1615)大和松山(奈良県宇陀市)三万石と上野(群馬県)小幡二万石、合わせて五万石の領主となり、子の信良が入封して小幡藩織田氏の藩政が開始された。
明和4年(1767)の「明和事件」で、出羽高畠(山形県高畠町)に移封されるまで8代152年にわたり小幡藩を統治した。