銭枡
ぜにます
概要
銭枡
ぜにます
富山県高岡市
江戸後期~明治初期
木材
全体写真の上から、
①長さ24.5cm×幅8.6cm×厚さ1.7cm(1枡:縦1.5cm×横1.0cm)
②長さ30.5cm×幅11.5cm×厚さ1.9cm(1枡:縦2.0cm×横1.3cm)
③長さ32.7cm×幅9.3cm×厚さ1.9cm(1枡:縦2.2cm×横1.5cm)
④長さ32.2cm×幅12.5cm×厚さ1.7cm(1枡:縦2.0cm×横1.5cm)
4
富山県高岡市古城1-5
資料番号 2-07-44
高岡市蔵(高岡市立博物館保管)
高岡の商家・高辻屋で使用されていた銭枡4点である。銭枡とは、硬貨を計量するための道具である(注1)。
資料①~④の表面には、枡目状に仕切りがされている。4点とも裏面には高辻屋の商標である「ヤママス」の焼印が入っている。
資料①(8列×10段)の裏面には、「萬延二酉/金二朱計/髙辻屋用」と墨書されている。万延2年(1861)に購入したのであろうか。「金二朱計」とあるのは、二朱金(注2)用の銭枡と思われる。ちなみに2朱金が銭枡いっぱいの80枚になると160朱、即ち10両となる(金1両=4分=16朱)。
資料②(8列×10段)の裏面には、「壱朱計/ヤマ升」と墨書されている。「壱朱計」とあり、一朱金用のものと思われるが、この枡目は長方形であり、正方形の「文政一朱判金」(注3)のためのものではなく、長方形の「一朱銀」(注4)用のものと思われる。1朱銀がこの銭枡いっぱいの80枚になると80朱、即ち5両となる。
資料③(5列×10段)の裏面には、「弐歩判弐拾五両舛/山舛店用」と墨書されている。つまり「二分(歩)判金」(注5)用の銭枡で、いっぱいの50枚になると100分、即ち25両となることを示している。
資料④(8列×10段)の裏面には、「高辻屋/八右衛門」と墨書されているが、大きく落書きがされており、何用の銭枡かは不明である。しかし、1枡の大きさから、上記の②に近く、一朱銀用のものとも考えられる。
資料は4点まとめて柄の部分を布紐で括り付けられている。
資料状態は、全体的に傷が目立つ。また、資料①の外枠や仕切りが一部欠損している。
〔注〕
1.『絵引民具の辞典』河出書房新社、2008、p381
2.三重県総合博物館HP「万延二朱判金」
3.ウィキペディア「一朱金」、『日本貨幣カタログ』日本貨幣商 (協)、1990年、p87
4.ウィキペディア「一朱銀」、『日本貨幣カタログ』日本貨幣商 (協)、1990年、p89
5.ウィキペディア「二分金」、『日本貨幣カタログ』日本貨幣商 (協)、1990年、p84