秋景
しゅうけい
概要
佐賀市に生まれる。1886年渡仏し、黒田清輝と共にラファエル・コランに師事し、1895年に帰国して天真道場を開いて、和田英作や岡田三郎助などを指導した。久米はコランを通して印象主義を学び、日本に伝えた。明るい色彩の使用と光に対する強い関心は、コランなどのアカデミスム系の作家による折衷的なものであったが、外光派と呼ばれて、日本においては清新なものとして受け入れられた。この傾向は、1896年東京美術学校に西洋画科が設けられ、白馬会が結成されるに及んで大きな潮流となった。この傾向は、弟子の和田や岡田等に受け継がれ、日本洋画の確固とした一つの流れとなった。1898年東京美術学校教授となり、ほとんど制作することはなく、美術教育・行政に専念した。 1886年渡仏した久米は、黒田清輝と生活を共しながらコランの指導を受けていたが、コランを通して触れたアカデミスムと印象主義的表現の折衷的作風は、陰影の表現にその特質を示すもので、後の日本の絵画的潮流に大きな影響を与えた。《秋景》は1895年に帰国する前、黒田と共に、夏から冬にかけて滞在していたブレハ島で制作された作品である。久米の渡仏の年に最後の印象派展が開催されており、その影響はコランなどのアカデミズムの画家たちにも及んでいた。また1889年にはモネの展覧会が開催され、92年にはピサロの大回顧展画開催されるなど、そうした展覧会を見た画家の傾倒ぶりが感じられる作品である。この作品に描かれている、陽光を受けて並ぶ積藁のモティーフや陰影部に施されている紫色の色彩表現など、印象派への接近の程がうかがえる。(Kj.H.)