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観音山古墳出土土器

かんのんやまこふんしゅつどどき

概要

観音山古墳出土土器

かんのんやまこふんしゅつどどき

土器・土製品類 / 古墳

神戸市長田区池田経町 観音山古墳出土

古墳時代後期/6世紀

粘土

5点

観音山古墳

来歴:1982神戸市立博物館

参考文献:
・神戸市立博物館『まじわる文化 つなぐ歴史 むすぶ美―神戸市立博物館名品撰―』図録 2019
・森田稔「長田区観音山古墳の出土遺物」『博物館だより』No.23 神戸市立博物館 1988

神戸市長田区の池田経町や池田上町、大谷町の辺りには古墳がかつて点在し、池田古墳群と呼ばれています。しかしこの一帯は早くから宅地化が進んで古墳が破壊され、古墳の数や時期などは良く判っていません。観音山古墳は池田古墳群の範囲内で、現在の観音山公園の場所にありましたが、昭和25年頃の公園の工事によって破壊されました。その工事中に出土した遺物5点は昭和57年に当館へ寄贈されました。その際に消滅する前の古墳の状態や埋葬主体部の様子を聞き取り調査しています。

観音山古墳は長田高校のグランドから南東約150mの場所にあり、北側にある高取山から続く尾根の南東緩斜面に立地していました。下を流れる苅藻川の扇状地との高さの差は約30mです。古墳の大きさは斜面の下の方からみて直径約10m、高さ4~5mで、墳丘の上には横穴式石室の天井石の一部と思われる一辺約1.5mの石が露出していました。造成工事で墳丘が削り取られて天井石が動かされ、横穴式石室の内部が見えるようになりました。玄室は2~3m程の大きさで、平面の形は円形に近く、胴張り形の玄室を持つ横穴式石室の可能性があります。石室の壁にはあまり大きくはない石が積まれており、石室の高さは結構ありました。また羨道の長さは約7mで、少しカーブしていました。羨門部に向かって徐々に幅が広がっていたと考えられます。石室が開口していた方向は東南東で、下の平野の方を向いていたようです。

出土遺物は須恵器の杯蓋・杯身・平瓶・𤭯が各1点ずつ、土師器の壺の破片1点の合計5点です。
須恵器には、製作工人を識別するための1条のヘラ描きの記号が共通して刻まれています。

【古代の神戸】

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