絵葉書「高岡銀行」
えはがき「たかおかぎんこう」
概要
明治22年(1889)4月、市制施行と同時に開業した高岡で最初の普通銀行。高岡の豪商である菅野・正村家を中心に創立された(資本金30万円。初代頭取・初代正村平兵衛)。株主総数207人のうち、市外の者は30人であった。場所は御馬出町(交差点南角)にあった由緒町人・服部嘉十郎家(御本陣)跡に設置された(この場所にはのち高岡米穀取引所が創設)。明治33年(1900)の高岡大火後、西向かい側に大きな望楼を備えた土蔵造2階建ての行舎に建て替えられた。
そして、大正初年頃、本資料に写るような白亜の洋風建築に改築された。行舎左角には併設されていた御馬出町交番が見える。
大正3年には守山町(御馬出町の東隣)に通称”赤レンガの銀行”こと高岡共立銀行(大正9年、高岡銀行と合併)も高岡初の洋風建築に改築(田辺淳吉設計)され、この時期この辺りは金融街を形成し、高岡経済の中心であった。
しかし昭和18年、政府の〈一県一行主義〉政策に従い43年7月、十二・高岡・中越・富山の4行が大同団結し、北陸銀行が新設された。