「伏木港」昭和十五年度
ふしきこう しょうわじゅうごねんど
概要
「伏木港」昭和十五年度
ふしきこう しょうわじゅうごねんど
とやまけんいみずぐんふしきまちやくば
富山県高岡市
昭和15年/1940
紙・折本・印刷
縦15.4㎝×横10.0㎝、(展開時)15.4×79.8
1部
富山県高岡市古城1-5
資料番号 1-03-78
高岡市(高岡市立博物館保管)
本資料は、富山県の伏木港・伏木町(現高岡市伏木)の概要を記した折本(リーフレット)「伏木港」である。
伏木港の位置・伏木町の沿革・主な官公施設・観光名所などの詳細な情報が記載されている。
表紙には「伏木港」とあり、立山、雲、カモメ、船、海が描かれている。裏表紙には「昭和十五年度」とあり、立山、雲、カモメ、海、灯台が描かれている。表紙裏には日満連絡航路の広告、裏表紙裏には伏木港の地図が掲載されており、これら4頁は全てカラー印刷である。
折本になっており、見開き式で展開すると、片方の面には伏木港・工場地帯・気多神社・勝興寺・雨晴海岸・国分寺址についての詳細な紹介があり、もう片方の面には伏木町の沿革・交通運輸・官公衛学校一覧・桟橋岸壁及び荷揚げ場・射水丸初就航のお知らせと運賃についての詳細な紹介がある。
また、本文は青色インクによる一色刷りだが、全ての頁に写真が掲載されている。
資料状態は、全体的にヤケており、所々にシミや破れが見られるものの、比較的良好である。
【伏木港(ふしきこう)】
高岡市と新湊市(現射水市)の市境、小矢部川河口を中心とする国の特定重要港湾。正式名称は伏木富山港伏木地区(国分港を含む)。富山港や富山新港とともに伏木富山港を形成している。年間取扱量は輸出6万622t、輸入45万7499t(平成4年(1992))、伏木港管理事務所)。対岸諸国との取扱量が多く、輸出では旧ソ連へ化学工業品や輸送用機械、輸入では旧ソ連から原木、韓国から石油製品などが多い。内国貿易では移出9万4131tのうち鉄鋼が4万7718tを占め、移入は石油製品62万4093tや重油22万2765tを中心に109万2652t。
港としての機能は大伴家持が越中国守として着任した当時からあったが、近世になってはじめて港として表舞台に登場し、寛文3年(1663)幕府の船政所13港の一つに指定される。明治32年(1899)開港場指定、昭和に入り日本海沿岸随一の港として発展。昭和39年(1964)石油配分基地用埋め立て地が、翌年国分港にタンカー専用岸壁が完成する。同50年(1975)7月に旧ソ連のワニノ港との間に定期配船が開設、日本とナホトカ港間の定期船も毎月1~2隻寄港している。明治24年(1891)藤井能三が「伏木築港論」の中で力説する通り、ソ連社会主義崩壊後の〈環日本海経済圏〉浮上で、対岸貿易の重要性が増してきている。来航船舶の大型化、河口部の浚渫費増大、石油配分基地に隣接する民家の安全性確保などの解決策として、平成元年(1989)から伏木外港が建設着工され、同13年(2001)完成を目指している。内港再整備を中心にした県の〈伏木ポートルネッサンス21プロジェクト〉が平成2年(1990)にまとまり、市民が水と親しむ親水的整備、歴史的港湾文化の活用、高度な物流施設整備などが計画されている。
※参考資料
・HP「富山大百科事典 電子版」(平成28年8月3日アクセス)
所蔵館のウェブサイトで見る
高岡市立博物館