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絵葉書(伏木関係)

えはがき(ふしきかんけい)

概要

絵葉書(伏木関係)

えはがき(ふしきかんけい)

その他 / 昭和以降 / 富山県

富山県高岡市

昭和21年以降/1945年以降

紙・印刷,手彩色

各 縦14.1cm×横8.9cm

4葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-201

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

すべて未使用。

【1】「(伏木名勝)」「左岸より見たる伏木港」「鉢伏山より見たる伏木港の夕景」
上部の写真には伏木港に集まる3艘の船が写っており、中央の船には「MITSUI LINE」と記されている。

【2】「(伏木名勝)伏木港の賑い」
伏木港に集まる3艘の船が写っており、右側の船には「七福丸/SHICHIFUKU MARU/東京/TOKYO」「MITSUI LINE」と記されており、ロゴから三井船舶株式会社(現・株式会社商船三井)の七福丸と考えられる。

【3】「(伏木)国分浜男岩より岩崎鼻灯台を望む」
手前に男岩、奥に岩崎鼻灯台が写っている。

【4】「伏木国分浜より女岩を望む」
左側に氷見線を走る蒸気機関車、右側に女岩が写っている。


<参考>
【伏木港(ふしきこう)】
 高岡市と新湊市(現射水市)の市境、小矢部川河口を中心とする国の特定重要港湾。正式名称は伏木富山港伏木地区。富山港や富山新港とともに伏木富山港を形成している。
 港としての機能は、大伴家持が越中国守として着任した当時からであったが、近世になって初めて港として表舞台に登場し、寛文3年(1663)幕府の船政所13港の1つに指定される。明治32年(1899)開港場指定、昭和に入り日本海沿岸随一の港として発展。昭和39年(1964)石油配分基地用埋立地が、翌年国分港にタンカー専用岸壁が完成する。同50年7月に旧ソ連のワニノ港との間に定期配船が開設、日本とナホトカ港間の定期船も毎月寄港している。明治24年(1891)藤井能三が「伏木築港論」の中で記したとおり、ソ連社会主義崩壊後の環日本海経済圏の浮上で、対岸貿易の重要性が増してきている。来航船舶の大型化、河口部の浚渫費増大、石油配分基地に隣接する民家の安全性確保などの解決策として、平成元年(1989)から伏木外港が建設着工された。
HP「富山大百科事典電子版」 http://webun.jp/encyclopedia_of_toyama/top

【三井船舶株式会社(みついせんぱくかぶしきかいしゃ)】
 昭和17年(1942)三井物産株式会社船舶部を分社化し、誕生。
同39年に大阪商船株式会社と合併して、大阪商船三井船舶株式会社となる。平成11年(1999)ナビックスライン株式会社と合併し、現在は株式会社商船三井。
三井船舶株式会社のロゴは「MITSUI LINE」だったが、大阪商船三井船舶株式会社の誕生以降は「MITSUI O.S.K. LINE」(「MOL」)となる。
HP「株式会社商船三井」 http://www.mol.co.jp/

【雨晴・島尾海岸(あまはらし・しまおかいがん)】
高岡市岩崎付近から氷見市島尾に至る富山湾の白砂青松の海岸。能登半島国定公園内にある。弧状を描いて延び、遠浅で波も静かなため絶好の海水浴場となっている。雨晴の名は源義経一行が奥州落ちの途中、にわか雨に遭い岩の下で雨が晴れるのを待ったという故事による。雨晴岩(義経岩)や男岩・女岩などがある。『万葉集』に詠まれた渋谿(しぶたに)・有磯海などの地でもある。島尾海岸は砂浜地帯で『万葉集』に詠まれた「松田江の長浜」のこと。松原は今も国有林の飛砂防止林に指定され貴重な環境資源となっている。砂丘の中に設けられた島尾遊園地はJR氷見線島尾駅の近くにある。
HP「富山大百科事典電子版」 http://webun.jp/encyclopedia_of_toyama/top

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キーワード

伏木 / / 雨晴 / 富山

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