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豊臣秀吉朱印状 天正16年卯月2日

とよとみひでよししゅいんじょう てんしょうじゅうろくねんうづきふつか

概要

豊臣秀吉朱印状 天正16年卯月2日

とよとみひでよししゅいんじょう てんしょうじゅうろくねんうづきふつか

文書・書籍 / 安土・桃山

豊臣秀吉

桃山時代、天正16年/1588年

紙本墨書

46.8×66.8cm

1

長崎廻近年伴天連令知行分事、御代官被仰付候間、致取沙汰、物成等可運上候也、
天正十六 卯月二日 (朱印【秀吉】)
鍋島飛騨守とのへ

来歴:1980神戸市

参考文献:

天正15年(1587)、豊臣秀吉はバテレン追放令を発令し、宣教師を国外追放しました。キリシタン大名大村純忠によって彼らに寄進されていた長崎は没収され、豊臣家の直轄領となりました。本資料は、バテレン追放令の翌年に秀吉から鍋島直茂に対して出されたもので、長崎の代官となることを命じています。

【南蛮美術】

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キーワード

秀吉 / 豊臣 / / 朱印

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