都の南蛮寺図 みやこのなんばんでら

日本画 / 安土・桃山 

狩野宗秀筆 (1551-1601)
かのうそうしゅう
桃山時代/16世紀後期
紙本金地著色
上弦50.6 下弦21.2 幅19.7
1面
京名所扇面画帖61枚のうちのひとつ 裏面に「五十、なんはんとう」の記あり。朱文壺印「元秀」

来歴:京都松原通御典医家→京都古美術商中村→高見沢忠雄→永見徳太郎氏→1931池長孟→1951市立神戸美術館→1965市立南蛮美術館→1982神戸市立博物館

参考文献:
・神戸市立博物館『まじわる文化 つなぐ歴史 むすぶ美―神戸市立博物館名品撰―』図録 2019
・サントリー美術館・神戸市立博物館『南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎』展図録 2011-12
・神戸市立博物館特別展『コレクションの精華』図録 2008
・神戸市立博物館編『南蛮美術セレクション』 1998
・神戸市立博物館特別展『南蛮見聞録』図録 1992

「南蛮寺」とは、織田信長の理解のもとに、四条坊門姥柳(うばやなぎ)町に、イエズス会が京都布教の拠点として建立した3階建ての聖堂で、「被昇天の聖母教会」が正式名称です。天正4年(1576)に献堂式をおこない、以後新しい京名所として親しまれましたが、天正15年に豊臣秀吉が出した宣教師追放令によって破却されたようです。「元秀」印から、筆者は狩野永徳の弟で、信長や秀吉の画事をつとめた宗秀(1551〜1601年)と推測されます。

【南蛮美術】

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