豊臣秀次朱印状
とよとみひでつぐしゅいんじょう
概要
文禄2年(1593)5月26日付、宗義智宛に発給された豊臣秀次の朱印状である。朝鮮半島に在陣する義智への在陣見舞状である。豊臣秀吉が名護屋に在陣する一方で、秀次は京都に残り、5月26日付あるいはその前後の日付で、朝鮮半島在陣中の諸将に、本品と同内容の在陣見舞の朱印状を発給している。日本側と明側で講和交渉が行われ、明から秀吉のもとに偽装した「勅使」が派遣されることになったことを受け、秀吉は5月1日付で、朝鮮半島に在陣する諸将に見舞いの朱印状を発給している。秀次の見舞いの朱印状発給も、この秀吉の動きに合わせたものと位置付けられる。
本品はおそらくもと折紙であったが、江戸時代に対馬藩で巻子に改装された。明治維新後、藩主が東京に移るに伴い、この巻子も明治11年(1878)に対馬から東京に移送された。大正15年(1926)に宗伯爵家は「宗家文書」の一部を朝鮮総督府朝鮮史編修会に売却した。朝鮮半島に渡っていた「宗家文書」は、戦後に日本に戻り、掛幅装などに改装されて、美術品市場に出回った。本品も同様の経緯を辿ったものである。
本品は「文禄の役」時に朝鮮半島に在陣していた大名にのみ発給された朱印状で、豊臣秀吉と秀次の二重の政治構造を垣間見せる一次史料として重要である。