人物十二ヶ月の図屏風 じんぶつじゅうにかげつのずびょうぶ

権利者:高岡市立博物館蔵

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日本画 / 江戸 / 富山県 

画・堀川敬周(1789頃~1858)/賛・桜井梅室(1769~1852) (1789頃~1858/1769~1852)
ほりかわけいしゅう/さくらいばいしつ
富山県高岡市
天保4年/1833年
紙本,墨画淡彩
〔本紙〕各縦130.4cm×横41.6cm
〔全体〕各縦173.8cm×横354.6cm
2
富山県高岡市古城1-5
資料番号 3-01-01-32

 高岡初の町絵師・堀川敬周と親交のあった金沢出身の俳人・桜井梅室(1769~1852)が各扇二句ずつ賛を記したもの。一年の年中行事に触れ、右隻の正月から6月までの風物詩に始まり、左隻には7月から師走までの人物の風俗を洒脱な筆致で描く。各扇それぞれに、敬周と梅室両者の落款があり、印章がある。


【翻刻】


(一月)

                 屈敬周写 印(朱文方形印「敬周公載」)
元日や二日は
    あれと翌ハなし

   さともくれ
      野も暮
     山の梅白し
       
         梅室 ○印(朱文円印「方円/隠居」)


(二月)

         梅室 ○印(朱文円印「方円/隠居」)    
屈敬周写 印(白文方印「敬」) 印(朱文方印「周」)
浅茅生や日暮て
    おろす鳳(た)巾(こ)の音

  こしらへて法や涅槃の
        からしあえ

(三月)

                   天保癸已夏日
                       屈敬周写 印(白文方形印「敬周」)
実盛か作る
   すかたを雛かな

   雲はかり見るまて
       入ぬ花のおく

       梅室 ○印(朱文円印「方円/隠居」)



(四月)

梅室 ○印(朱文円印「方円/隠居」)  
天保癸已初秋 敬周写 印 (白文方印「源敬周印」)印(朱文方印「公載印」)

松にかせそのまつ風に
       ほとゝきす

   雪をれを健気にかくす
          若葉かな

(五月)

粽(ちまき) ゆふ手ハかり
見ゆるすたれ
かな

   さみたれも
   伽になるほと
   老にけり

      梅室 ○印(朱文円印「方円/隠居」)
          
          屈敬周写 印 (白文方印「長」)印(白文方印「汀」)


(六月)

                    屈敬周写 印 (白文方形印「敬周」)
ひらく日も
      裏(うら)白(じろ)戦(そよ)く
        氷室かな

鵜(う)の真似の烏も
     すゝし岩の
        うへ
            梅室 ○印(朱文円印「方円/隠居」)
(七月)


                      屈敬周写 印 (白文方印「屈敬周」)印 (朱文方印「公載氏」)
梅室 ○印(朱文円印「方円/隠居」)

烽(のろし)たつやおとろ
    かれぬる我鼾(いびき)

    むかひ火や裾風
       たてゝ人通り


(八月)


八朔やきのふ
    植たる塀の松

船頭(せんどう)の気(き)隋(おち)なためて
      月見かな
  
梅室 ○印(朱文円印「方円/隠居」)
  
            屈敬周写 印 (白文方印「屈敬周印」)
(九月)

菊をると威して
   亭主起しけり

あつものに喧敷
    くもるや後の月

梅室 ○印(朱文円印「方円/隠居」)

                天保癸已歳秋七月
屈敬周写 印 (朱文方印「敬周」)



(十月)

梅室 ○印(朱文円印「方円/隠居」)
屈敬周写 印 (朱文方印「公載」)

盛るまてハ聞きすまし
      けり小夜時雨

田の水にわさと
   かましき落葉
かな
(十一月)


                     敬周写 印 (朱文方形印「長汀」)
おもたさのふすま
    ほとあり傘の雪

霜月もこほるゝ
   ものは松葉かな

         梅室 ○印(朱文円印「方円/隠居」)


(十二月)

寒月や雨さへ
   もらぬ屋根をもる

  亀の尾の
    ミしかく
   暮ハ暮に
     けり
         梅室 ○印(朱文円印「方円/隠居」

敬周写 印 (白文方印「長汀」)


◆堀川敬周(ほりかわけいしゅう)
生没年:寛政元年(1789)頃~安政5年(1858)

 江戸後期に商工活動が盛んになった高岡に現れた最初の専門町絵師。天保・弘化年間(1830~48)を中心に活躍し、初期高岡画壇の礎を築いた。姓は「源」、字(もしくは氏)が「公載」といい、「長汀」とも称した。『高岡史料』下巻(1909年、高岡市)によると、高岡堀上町の紺屋・湊屋平助の二男に生まれ、片原中島町の画人・堀蠖翁の養子となった。その後画業を志し、京都四条派の紀広成、東東洋に学び、山水・花鳥・人物などあらゆる画題を修得した。一方で漢詩人・大窪詩仏、金沢の俳人・桜井梅室、瑞龍寺の閑雲禅師ら多くの文人墨客たちと親交をもち、洒脱な俳画や風俗画も描いた、また高田蕙圃など多数の弟子を育成した。

◆桜井梅室(さくらいばいしつ)
生没年:明和6年(1769)~嘉永5年(1852)

 江戸後期の俳人。加賀(現石川県)金沢出身。名(諱)は能充、幼名は次郎作、初号は雪雄、別号は素芯(信)・方円斎・陸々山人など。研刀で代々加賀藩主に仕えた家に生まれるが、文化4年(1807)、39歳の時に俳諧師になるため辞職。上洛して上田馬来に俳諧を学び、成田蒼虬に兄事した。後に江戸に居住。一時金沢に引っ越すも、再び上洛した。帰郷後は俳名いよいよ高まり、その門に学ぶ者が多くいた。嘉永4年(1851)には、二条家から7世・花の本宗匠の称号を与えられ、成田蒼虬、田川鳳朗と共に「天保の三大家(宗匠)」の一人に数えられた。主な編著に、『梅室両吟集』(1838年)、『梅室家集』(1839年)などがある。梅室没後は、一代の年譜『梅室翁紀年録』(1854年)も出版されるなど、大きな足跡を残した。

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