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兵隊盃(除隊紀念盃/支那事変記念盃)

へいたいさかずき(じょたいきねんはい/しなじへんきねんはい)

概要

兵隊盃(除隊紀念盃/支那事変記念盃)

へいたいさかずき(じょたいきねんはい/しなじへんきねんはい)

民俗 / 昭和以降

富山県高岡市古城1-5

資料番号 2-01-02-72

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

①除隊紀念盃
年代:昭和20年代以降
作者:かぶと屋
数量:1口
材質:陶土
寸法:口径5.8cm×高2.9cm

 兵役を終えた兵士が除隊祝いのために購入し、親戚や知人に配った記念の盃である。「兵隊盃」の他に「軍盃」とも総称される。
 見込みには日章旗と旭日旗が交差しており、中央には桐紋(五三桐)、中央上には陸軍が帽章や襟章などに使用した星章がデザインされている。上部には右読みで「歩兵第丗五聯隊」、下部には「除隊紀念」と金字がある。裏面は底部の5ヶ所に窪みがあり、花を象っているように見える。また、窪みの4ヶ所部分には右読みで「かふと屋」とあり、盃の製造元と考えられる。
 寄贈者父は昭和16年(1941)陸軍に属し、中国に出兵したという。

【歩兵第35連隊】
日清戦争後の明治29年(1896)に設立された歩兵連隊。本部は石川県石川郡野田村(現・金沢市)に置かれた。同31年に第9師団が金沢市に設置され、第6旅団に所属した。富山・岐阜から徴兵。日露戦争では乃木希典の指揮下に入り、旅順攻撃で多数の犠牲者を出した。朝鮮駐留・シベリア出兵を経て、大正14年(1925)富山市五福へ移駐する。上海事変などを経験し、台湾で終戦を迎えた。
HP「電子版 富山大百科事典」https://webun.jp/encyclopedia_of_toyama/top(2015年5月26日アクセス)


② 支那事変記念盃
年代:昭和12~16年(1937~41) 
数量:5口
材質:陶土
寸法:各 口径5.5cm×高3.0cm

昭和12年(1937)から同16年に起こった支那事変を記念した盃である。
 見込みには星章の付いた鉄帽(ヘルメット)と軍刀が日章旗の上にあり、周りには桜が散りばめられたデザインである。上部には、右読みの赤字で「支那事変記念」、黒字で「忠勇」と記されている。全体は白地であるが、縁は金色で資料によって青色の濃淡の違いがある。
寄贈者の父は昭和16年(1941)陸軍に属し、中国に出兵したという。

【支那事変】
 昭和12年(1937)から同20年に渡る日中戦争の一部である。
同12年7月に発生した盧溝橋事件が発端となり、日本軍は華北で総攻撃を開始し、戦火が上海にまで拡がると、第一次近衛内閣は同年8月に「北支事変」から「支那事変」へ改称した。終始、宣戦布告はされず、日本の場合、アメリカからの軍需品輸入の支障などを懸念し、宣戦布告における国際孤立を避けるためとされる。
南京や山東省などで戦線が展開され、同16年12月の日米開戦によって蒋介石政権は日本に宣戦布告し、東條内閣は「支那事変」を含めた今後の戦争を「大東亜戦争」に位置付けるとした。
下中弘編『日本史大辞典』第5巻,株式会社平凡社,1993

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