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越中射水郡赤埴(赤祖父)村 村御印

えっちゅういみずごおりあかはに あかそふ むら むらごいん

概要

越中射水郡赤埴(赤祖父)村 村御印

えっちゅういみずごおりあかはに あかそふ むら むらごいん

文書・書籍 / 江戸 / 富山県

加賀藩

かがはん

富山県高岡市

寛文10年9月7日/1670

紙本・竪紙・墨書

縦37.3cm×横57.8cm

1

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-01-214

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

 赤埴村は赤祖父村(現富山県高岡市赤祖父・問屋町)の旧名。その村御印である。
 村御印は加賀前田家3代利常が実施した農政改革「改作法」(1651~56年)の成就の結果、原則藩内全ての村に各一通発給された年貢割付状である。各村の草高(石高)、年貢率、小物成(米以外の収益に掛かる税)などが記されており、当時の農政や村の姿などを知るうえでも貴重な史料である。
 はじめ慶安3年(1650)、のち承応3年(1654)、明暦元年(1655)に、そして改作法が成就した、明暦2年(1656)8月1日付に発給された〔村御印御成替(おなしかえ)〕。更に寛文10年(1670)9月7日付にも発給されており、これは幕府に倣い加賀藩も「新京枡(1升=約1.8リットル)」を採用し改められた〔村御印御調替(おととのいかえ)〕もので、現存するほとんどはこの日付のものである。赤埴村の村御印もこの年月日である。
 赤埴村の草高は532石(内20石は手上高)であり、これは市内平均(467石)よりやや大きな村である。免(年貢率)は40%(内8.6%は手上免)で市内平均(44%)よりやや低い。よって当村の年貢(定納)は212.8石(532×0.4)となる。
 米以外に掛かる雑税である小物成は課されておらず、この村が田畑耕作のみの純農村であることがわかる。   
 状態は良好である。
 付属品は包紙(墨書「射水郡赤埴村/百姓中」)、共箱(漆塗/蓋表墨書「御印箱」「射水郡/赤埴村」)。

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【翻刻】

越中射水郡赤埴村物成之事

壱ヶ村草高  内弐拾石、明暦弐年百姓方ゟ上ル付無検地極
一、五百三拾弐石
      免四ツ 内八歩六厘、明暦弐年ゟ上ル
右免付之通、新京升を以可納所、夫銀定納百石ニ付
百四拾目充、口米石ニ壱斗壱升弐合充可出也、
一、拾壱石五斗之敷借米明暦弐年より令免除者也、
寛文拾年
 九月七日(黒文円印「満」)

      赤埴村
        百姓中

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