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今川了俊自筆書状

いまがわりょうしゅんじひつしょじょう

概要

今川了俊自筆書状

いまがわりょうしゅんじひつしょじょう

歴史資料/書跡・典籍/古文書

今川了俊筆

南北朝時代 永和2年(1376)

紙本墨書

縦27.6 横52.4

1幅

永和2年(1376)2月19日付、松浦党の一派である佐志氏に宛てた、今川貞世(了俊)(1326-?)の自筆書状。応安4年(1371)2月に九州探題の任に就いた了俊は、自身が直接管掌しない地域には一門子弟を代官として派遣して、彼らを通じてそれらの地域を掌握するという方式を採った。肥前には弟の仲秋を派遣し、松浦党を幕府方の軍事力に編成しようとした。仲秋は松浦党諸族を一揆という形で結集することに尽力し、応安6年には大一揆を結ばせることに成功した。しかしながら、永和2年(1376)に、松浦党の一派であった波田武が南朝方に翻った。了俊は永和2年1月16日、松浦党の有浦氏に宛てて、肥前に軍勢を派遣する旨を伝え、本文書にあるように、家臣の中賀野義員に兵をつけて肥前・黒川に派遣したが、軍勢が少なかったため、佐志氏に対して、有浦氏に援軍をつけるように依頼したのであった。本文書は了俊自筆の書状で、南北朝期の九州の一様相を伝える史料として貴重である。なお、旧蔵者は明治から昭和にかけて活躍した実業家で、多数の美術品を蒐集したことでも知られる保阪潤治。

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キーワード

松浦 / / 肥前 / 文書

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