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虫豸帖 夏

ちゅうちじょう

概要

虫豸帖 夏

ちゅうちじょう

絵画 / 江戸

増山雪斎筆

江戸時代・19世紀

紙本着色

21.8×29.9

1帖

 昆虫、は虫類、淡水魚など、さまざまな生物を描いた写生図を、生物の種別ごとにスクラップした画帖(がじょう)です。「虫」(ちゅう)とは小型生物のうち足のあるもの、「豸」(ち)とは足のないもののこと。つまり虫豸帖という題名は、さまざまな小型生物を集めた画帖を意味しています。画帖は春・夏・秋・冬の4冊に分かれ、春にはチョウ、夏にはトンボ・バッタ・セミ、秋にはガ・ハチ・イモムシ・カブトムシ、冬にはクモ・淡水魚・トカゲ、カエルなどが納められています。それぞれのページには、大きいもので1枚、小さいもので4枚ほどの写生図が貼られており、絵のそばには写生した日付や生物の名前、特徴などのメモも記されます。いずれの生物も、驚くほどリアルです。筆者が実際の生物を注意深く観察していたことはもちろんですが、透き通る羽やなめらかな肌などの質感や立体感を、それらしく表現できる絵画技術をもっていたからこそ、実現することができたのです。単なる写生にとどまらない絵画的な美しさ、楽しさも、大きな魅力といえるでしょう。
 画帖を製作・編集したのは、現在の三重県にあたる伊勢国(いせのくに)、長島藩の藩主であった増山雪斎(ましやませっさい)。藩主でありながら、花鳥画などの絵を得意としました。書・詩文にも通じ、著作も多く残しています。当時、動物・植物や鉱物などの精密な絵とデータを収集した、「博物図譜(はくぶつずふ)」つまり図鑑の編集が各地で行われました。中でもこの画帖は、いろいろなことに興味を持ち、絵画の腕も確かであった増山雪斎ならではの作品といえるでしょう。
 雪斎は、写生のために殺してしまった虫の死骸を小箱にしまい、「これはわが友である。いつか適当な地に埋めて供養したいものだ。」と語っていたといいます。彼の没後、友人たちは雪斎の墓地がある勧善院(かんぜんいん)という寺院に、虫の死骸を葬る「虫塚」(むしづか)を立てました。この虫塚は、後に東京国立博物館の隣の寛永寺(かんえいじ)に移され、現在も残っています。

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増山 / Sessai / /

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