「画集銀座 第二輯」より 銀ブラ
概要
44
「東京風景」より 柳橋之雨
織田一磨
一枚
紙・リトグラフ
縦二八・七 横三九・五
大正五年(一九一六)
東京国立近代美術館
45
「東京風景」より 上野廣小路
織田一磨
一枚
紙・リトグラフ
縦四〇・三 横二八・五
大正五年(一九一六)
東京国立近代美術館
46
「画集銀座 第二輯」より すきや河岸
織田一磨
一枚
紙・リトグラフ
縦一七・〇 横二八・〇
昭和四年(一九二九)
東京国立近代美術館
織田ゆきえ氏寄贈
47
「画集銀座 第二輯」より 銀ブラ
織田一磨
一枚
紙・リトグラフ
縦一六・五 横二八・〇
昭和四年(一九二九)
東京国立近代美術館
織田ゆきえ氏寄贈
織田一磨(一八八二−一九五六)は東京の生まれ。明治三十一年家族とともに、石版画工であった実兄東禹の住む大阪に転居した。石版の技術を兄および金子政治郎から学ぶ。明治三十六年上京して各所の印刷工場で複製石版の製作に従うかたわら、巴会展や第一回文展に水彩画を出品した。明治四十一年には美術雑誌『方寸』の同人に加わって創作版画運動に身を投じ、同時に若い文学者や美術家が参集した「パンの会」にも参加した。やがて自画石版による版画家として自立することを決意し、大正五年から八年にかけて「東京風景」や「大阪風景」の連作を制作した。大正七年日本創作版画協会を組織し、大正十三年の洋風版画会結成にも加わり、さらに昭和六年には版画家の大同団結となった日本版画協会の設立にも参加した。
「東京風景」は、石版画家として第一歩を踏み出した初期シリーズで基本的には江戸名所絵の系譜に連なるものと見てよい。震災以前の東京には江戸の名残が随所に感じられるが、一方で、電車が走りデパートが建つ新しい街の姿も映し出される。また、永井荷風は織田のこの東京風景を、雅と俗との境にあって東京の実情をよく写していると評している。
「画集銀座 第二輯」は昭和に入ってからの東京を、特に夜の情景を主たるテーマとしている。石版の技法は夜の表現に通している面もあるが、織田は都市の本質を夜の繁華街に見ていたようだ。(古田)