絹本著色春日宮曼荼羅図
けんぽんちゃくしょくかすがみやまんだらず
概要
図上辺の春日・三笠山を背景に本宮四社の社殿をほぼ正面向きに、若宮の社殿を向かって右下隅近くに表し、描かれる範囲も本殿の南門付近までに限られる。このような構図は、一般的な春日宮曼荼羅が、本宮社殿を春日山との実際の位置関係に即して向かって右向きとしてその右側に若宮を表し、かつしばしば東西両塔、一の鳥居付近までの広い範囲を表すものであるのと大きく異なっている。
また、本宮社殿の前には四脚門と瑞垣がある。四脚門は南門にあたるが、治承三年(一一七九)、南門が楼門に、これに付属する瑞垣が回廊に改められ、現存する他の春日宮曼荼羅図の多くにそのように表されている景観となった以前の姿を示すものとして注目される。
このように、本殿を正面向きに描く構図、治承三年以前の景観の両者を兼ね備えている点で、本図は他に例のない特色ある春日宮曼荼羅図である。文献から春日宮曼荼羅図は一二世紀には存在していたと考えられるが、鎌倉時代前期以降は、春日社については本地垂迹に基づいた仏教側からの信仰が深化され、春日を浄土とみなす春日浄土観による信仰が盛んになったこと、さらにはその詳細な景物について仏教側から意味が与えられていたことなどが指摘されている。すでに重要文化財に指定されている湯木美術館本(正安二年〈一三〇〇〉)、南市町自治会本をはじめ、一四世紀初頭前後以降に制作された、春日社の広く詳細な景観全体を主題とする遺品はこのような思想の所産と考えられる。
これに対して本社四殿を中心とし、その本殿をあえて正面観でとらえる本図は、このような春日宮曼荼羅図とは性格を異にすると考えられる。鎌倉時代の本地垂迹に基づく信仰では本地本殿第一殿の本地仏を釈迦とするのが主流になるのに対して、本図第一殿の本地は一二世紀の文献に現れるように不空羂索【ふくうけんさく】観音とするのも、このような性格の違いを示唆する。
すなわち、現存する多くの春日宮曼荼羅図が、鎌倉時代に盛んになった本地垂迹に基づく春日浄土観を背景として制作されたと考えられるのに対し、本図はそれ以前の神祇中心の信仰形態に基づいて成立していた春日宮曼荼羅の形式を残すとも考えられる点で貴重な遺品といえる。
春日宮曼荼羅としては小品であり当初の彩色の剥落による薄れもあるものの、仔細に見れば描写は非常に細密で、繊細であり、制作期は少なくとも鎌倉中期に遡ると思われることなど、絵画的にも貴重な作例である。