河内寺廃寺跡
かわちでらはいじあと
概要
河内寺廃寺跡は、大阪府東大阪市の東部、生駒山地の西麓部標高20mの緩傾斜地上に立地する7世紀中頃に創建された古代寺院跡である。遺跡のすぐ北西側に隣接して河内郡衙に比定される皿池遺跡がある。発掘調査の結果、塔、金堂が南北に並ぶ四天王寺式伽藍配置が復元され、各堂宇についてもその基壇規模・建物規模が確定した。特に遺存状態が良好な塔跡は、創建当初は乱石積で一辺10.7m、高さは1.4mの基壇規模をもち、初重は等間の3間で、柱間寸法は1.95mであることが分かっている。その創建時期については、出土瓦の分析から、金堂と回廊は7世紀中葉、塔はやや遅れて7世紀後葉になることがわかっている。また廃絶時期は、遺跡を被覆する土石流状の堆積土中に、14世紀初頭の瓦器椀を含むことから鎌倉時代末期に求められる。文献資料の記載から、河内寺廃寺は有力な渡来系氏族「河内直」により氏寺として建立され、のちに律令制度の発達とともに河内郡衙に付随した郡寺として発展していったと考えられる。このことから河内寺廃寺跡は、古代河内国における在地豪族の政治的・経済的伸張、そしてその庇護のもと行われた仏教文化の受容と発展を考えるうえで重要である。