佐野廃寺塔跡・金堂跡
さやはいじとうあと・こんどうあと
概要
佐野廃寺塔跡・金堂跡
さやはいじとうあと・こんどうあと
佐野廃寺塔跡・金堂跡は、和歌山県伊都郡かつらぎ町大字佐野字塔壇に所在する。佐野廃寺の核となる遺構である塔跡のほとんどすべてと金堂跡の約3分の1を含み、出土遺物には軒瓦をはじめ風招や方形三尊塼仏などの重要なものがある。
金堂跡は、梁間五間・桁行四間の規模を有する基壇及び雨落溝が残存したものである。川原寺式軒丸瓦・重弧文軒平瓦、行基葺丸瓦・凸面布目痕、平瓦が多く出土し、670年代に建立されたものと考えられる。このことから、天武天皇の仏教政策のひとつである川原寺建立の影響のもと、朝妻廃寺などとともにほぼ同時期に建立されたと考えられる。なお、雨落溝出土の須恵器杯蓋は創建時期が7世紀第3・4四半期に遡る可能性があることを示す資料である。
塔跡は、方三間の規模を有する基壇が残存したものである。本薬師寺式軒瓦、巨勢寺式軒瓦が多く出土したこと、本薬師寺の建立の発議が680年であること、巨勢寺に封戸200戸を封ずる686年の記事があることから、680年代に建立されたものと考えられる。
風招は、佐野廃寺の塔構造の一端を知ることのできる唯一の遺物である。
方形三尊塼仏は、同范の塼仏が橘寺、禅寂寺から出土していること・同類型のものが川原寺から出土している。
かつらぎ町指定
指定年月日:20130329
記念物