慶雲館庭園
けいうんかんていえん
概要
慶雲館は、明治20年(1887)1月に行われた明治天皇の京都行幸に際し、帰路における長浜での休憩所(行在所)として、近江地方の実業家であった浅見又蔵(1839〜1900)が自らの私財を投じて造営した和風建築である。当初の慶雲館の敷地には見るべき庭園はなかったが、明治45年(1912)に息子の又次郎が行幸25周年を記念して敷地の本格的な整備事業を行い、現在見る庭園の原形が完成した。
慶雲館の庭園には、大きな起伏を伴う立体的な地形と巨石を用いた豪快な意匠のほか、芝生と枯池を前景として琵琶湖を眺望する遠近感に富んだ景観構成が見られる。昭和27年(1952)に始まった盆梅という造園に関わる独特の活動の場としても重要な意義を持った。
近代の作庭家として名高い小川治兵衛(植治)の流れを汲み、その息子である保太郎(白楊)が作庭に関わった可能性が高く、京都以外の地においてその作風の一端を現在に伝える庭園の事例として重要である。