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寺地遺跡

てらじいせき

概要

寺地遺跡

てらじいせき

史跡 / 中部 / 新潟県

新潟県

糸魚川市大字寺地

指定年月日:19801205
管理団体名:糸魚川市(昭57・6・11)

史跡名勝天然記念物

 新潟県の西端にある姫川とその支流小滝川の中流部及び[[青海]おうみ]川の上流部は、わが国唯一の硬玉の産地として広く知られている。寺地遺跡は、この姫川河口と青海川河口の中間、日本海に面する低丘陵の先端部に営まれた、繩文時代中期から晩期の集落跡である。昭和42年、土地区画整理の対象地となり、以降昭和48年まで前後5回にわたる発掘調査が実施された。その結果、中期前半から晩期にかけての、玉造工房跡とみられる竪穴住居跡6基と、巨大な木柱4本を伴う特異な配石遺構が検出され、注目されることとなった。
 全形の検出されたI号竪穴(中期前半)は、径5メートルの円形の竪穴で、壁面に沿って幅50~70センチのテラスを設け、中央南西寄りの部分に方形の石囲炉、北東部のテラス上に埋甕の施設をもつ。注目すべきは、この石囲炉の南に接して扁平な大形砥石が埋設され、またテラスの南壁に接する位置に、内部に細砂の堆積の認められる径60センチ、深さ5センチ程の浅い円形のピットがあり、それに接して径30センチの扁平な河原石と、この河原石に乗せた砂岩質の砥石が検出されたことである。竪穴内部からは、中期前半の土器とともに、姫川あるいは青海川の河床で採取したとみられる多数の硬玉礫、硬玉の完成品・未成品、蛇紋岩製の石斧及びその未成品と、石鏃・石槍・叩石・石錘などの石器、蝋石製大珠などが検出されており、このI号竪穴において、硬玉を主とする玉類の生産が行われたことが明らかである。また、VI号竪穴(中期中葉)においては、I号竪穴と同様の工作用とみられる浅い円形のピット、砥石、硬玉礫などとともに、多数の蛇紋岩製石斧の未成品と剥片が検出されており、硬玉の生産と同時に、硬玉の母岩である蛇紋岩を利用した石斧の生産の行われたことがうかがえる。こうした各竪穴の出土品の内容は、他のIII・V号竪穴(中期)やIV号竪穴(後期末)、II号竪穴(後期-晩期)についても全く同様であり、この遺跡が中期の前半から晩期までの長期間を通じて、硬玉を主とした玉類と蛇紋岩の石斧を生産した、生産の遺跡であることが判明したのである。
 竪穴群の東方の低地部分で検出された配石遺構は、東西12メートル、南北16メートルの拡がりを持ち、柱状あるいは扁平な河原石の立石でつくられた区画と、その内部及び外周を埋める扁平な河原石の敷石からなっている。配石遺構の主要部は、西北部の長径5メートル、短径3メートルの楕円形の環状配石と、その東方にある中央敷石部分に径60センチの巨大な木柱4本をもつ、一辺4メートルの方形配石、方形配石の南方に拡がる三重の弧状配石と、中央部に位置する径2メートルの炉状配石の4種の配石で構成されている。環状配石内部から、大形の甕形土器に納めた小形の壺形土器1(晩期)と朱漆塗の櫛・骨片が、また炉状配石の内部からは、土器片・砥石片・石斧・硬玉とともに、一部獣骨を含む多量の人骨片(10体分以上)が出土している。4本の木柱をもつ方形配石では、三隅に石棒を立てており、配石内部から、独鈷石と朱漆塗の櫛数個が出土した。
 中期前半から晩期に至る硬玉及び蛇紋岩製石斧の工房跡と、晩期の極めて特異な配石遺構からなる寺地遺跡の内容は、繩文時代における硬玉生産の実態と、この地域における特殊な祭祀の形態をうかがわせるものとして、貴重である。

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キーワード

住居 / 竪穴 / / 遺跡

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