加納城跡
かのうじょうあと
概要
S51-6-017[[加納城]かのうじょう]跡.txt: 加納城は、文安2年(1445)に、美濃国守護土岐将益の執権斎藤利永が築いたのに始まる。その後斎藤氏は主に加納城にあったが、天文7年(1538)に斎藤氏本宗が断絶し、翌年斎藤氏の名跡を襲った長井利政(後の斎藤道三)が稲葉山城に本拠を移すに及んで、加納城は廃された。
慶長5年(1600)、関ヶ原戦に勝利をおさめた徳川家康は、西国への押さえとして、旧加納城地を大拡張して築城し、奥平信昌を封じた。城主は、奥平・大久保・松平と転々し、永井氏3万2千石の代に明治維新を迎えた。
城はいわゆる平城で、本丸・二の丸・三の丸・南の丸等から成り、東・南・西は河川を利用して外堀とし、総構えの大手門を丸の内の北に設けてあった。現在、二の丸以下はほぼ市街地となったが、東部に取出丸をつくって凸形を成す本丸と四囲の堀・石垣・土塁が良く遺存しており、近世平城の貴重な遺構となっている。