豊島長崎の富士塚
としまながさきのふじづか
概要
富士山はわが国の霊山のうち、古来、信仰の対象とされた最も著名な山の一つである。富士塚は、富士山を模して築造された塚で、江戸高田の行者藤四郎が、老若男女だれでも心安く富士に登山できるようにと、安永9年(1780)高田水稲荷の境内にこれを築いたのが始まりである。
庶民の富士山信仰は江戸中期には盛んになり、この頃から、江戸を中心に富士講が所々に結成され、多くの富士塚が築造され、現都区内だけでも50数か所の富士塚を数えるに至った。
長崎の富士塚は、富士講の一派月三講(椎名町元講)によって、文久2年(1862)に築造された。高さ約8㍍、直径約21㍍で、塚全体が富士の熔岩でおおわれている。頂上の石祠をはじめ、太郎坊大権現碑・亀岩八大龍王神碑・月三講の講碑・同行碑・登山道の合目石・手水鉢など築造当時の碑等も多く残存し、他の講碑や明治期以後の講碑も見られる。