志木の田子山富士塚
しきのたごやまふじづか
概要
本件は、埼玉県志木市の敷島神社の境内にある「富士塚」と呼ばれる富士山を模した人工の築山である。富士塚は、近世中期以降、富士山を御神体とする富士信仰が盛んになると江戸とその周辺地域を中心に造られ、身近な富士山として信仰されてきた。田子山富士塚は、富士講の一派の丸吉講の講員で、当地で醤油醸造業を営んでいた高須庄吉が築造を発願し、明治5年(1872)に完成している。塚の大きさは、高さ約8.7m、直径約30mと富士塚の中では大型で、塚の東側に入口、北斜面に登山道があり、表面は溶岩の黒ボク石で覆われている。入口に里宮の浅間下社、頂上に奥宮が祀られ、一合目から頂上までの登山道には、富士山にある神社や名所に倣った石造物が数多く建つ。また、塚の内部には,御胎内と呼ばれる洞穴もある。塚の管理は、田子山富士保存会が行っており、毎年7、8月には山開き・山仕舞いの行事が行われている。
所蔵館のウェブサイトで見る
国指定文化財等データベース(文化庁)