松浦宮物語
まつらのみやものがたり
概要
『松浦宮物語』は、『無名草子』に「定家少将のつくりらるとて(中略)、まつらの宮とかやこそ、ひとへに万葉集の風情にて、宇津保など見る心ちして、愚かなる心も及はぬさまに侍るめれ」とあり、その内容表現などと併せて藤原定家の作と伝えられる擬古物語で、十二世紀後半の成立になるものである。本物語は異国にまで舞台を広げたスケールの大きい幻想的な物語で、その構成はおよそ五部からなる。一は弁少将の神奈備皇女との悲恋と遣唐副使としての渡唐、二は渡唐した少将と帝の妹華陽公主との恋愛、三は唐土の戦乱と少将による戦乱の平定、四は母后鄧皇后との恋愛、五は帰朝後の華陽公主との再会からなっている。本物語の特色は、『無名草子』に評されているように万葉集の風情が第一部の和歌に著しいこと、公主からの琴曲伝授には『うつほ物語』の「俊蔭」巻の模倣がみえること、とくに日唐にまたがる輪廻転生の思想は『浜松中納言物語』の影響が強くみえるところである。
本書はその現存最古写本で、体裁は桝型綴葉装本で、共紙表紙に、外題を「松浦物語」と墨書する。料紙は楮紙打紙を用い、本文は第二丁オより半葉一〇行から一一行に流麗な筆致で書写している。首題はなく、「松浦宮二」「まつうらの宮三」と内題を記している。本書の帖末には貞観三年(八六一)の偽跋と、「本云、/貞観三年四月十八日、/そめ殿の院のにしのたい/にてかきおハりぬとあり」と貞観三年四月十八日の書写に擬えた奥書がある。本書には流布本の祖本である伝後光厳院宸翰本(重文 東京国立博物館保管)で脱落している「よしこゝに我たまのをハつきなむ/月のゆくゑをはなれさるへく」という弁少将の和歌一首を確認できるほか、「金〈〓/増/〓〉城」など誤字や脱字の訂正、「む」と「ん」の仮名用法上の相違や漢字・仮名表記の相違など本文の異同を校正しえる点が少なくない。他方、「たれものかるへきいのちに侍らさらし」と「へきけはひもみえす、やうやうふけ/ゆくそら」の間に脱落があり、この脱落部分のある綴じは八紙で一綴じになっており、他の綴じがいずれも一〇紙で一綴じであることからみて、おそらく二紙分が脱落していると思われる。また、本書には伝後光厳院宸翰本末丁にある偽跋「これもまことの事なり(中略)、唐にはさる霧のさふらふか」はないが、偽跋の他に、本書の成立を古くみせるための「本の草子くちうせて見えすと」「このおくも本くちうせて/はなれおちにけりと」などの本文欠脱の偽註がみえている。本書は奥書はみえないが、書風、料紙などからみて鎌倉時代後期の書写になるもので、伝後光厳院宸翰本を祖本とする流布本の系統本とは別系統の古写本である。内箱蓋裏の貼紙には「まつらの宮/伏見天皇 正筆也/外題中院通村公、はこ梶井宮慈胤親王」とあり、本書の筆者を伏見天皇と鑑しているが、その力強く、流麗なる筆致は伏見天皇宸翰と伝えるにふさわしいものである。
本書における時代設定や原本の成立を古くみせようとする偽跋、舞台設定は、源平の動乱の現実から隔絶した浪漫的な物語を構築する工夫であり、そこには「紅旗征戎、非吾事」(『明月記』)と記した定家の姿勢に通ずる性格がある。このように本書には当時の平安時代の物語文学との類似性や影響関係が強く認められる作品で、作り物語の系列に属する擬古物語の鎌倉時代古写本として国文学上に貴重な遺品である。