普門寺の地蔵菩薩坐像
ふもんじのじぞうぼさつざぞう
概要
本像は、東町地域内の石仏として最も古いものであり、地元の言い伝えでは、石灰岩をヤマイモと泥で練って造った仏像といい「トロ薬師」とも呼ばれています。地元では薬師様として信仰されていますが、髪は螺髪となっておらず、左手に宝珠、右手は施無畏印を結び、袈裟を着ていることから製作当初は地蔵菩薩像として製作されたと考えられます。昭和38年に普門寺本堂が火災に遭った際に、熱により表皮の一部が剥落し、左手と宝珠及び光背の一部が火災以前に欠損しましたが、鎌倉時代後期から南北朝期の製作の石仏としては保存状態は良好です。また、本像は緻密質の凝灰岩を石材としており、みどり市笠懸町西鹿田の天神山産出の凝灰岩で製作された可能性が高く、現時点で天神山凝灰岩製と考えられる石造物の北限のひとつをなすとみられます。天神山凝灰岩の石造物は、旧新田郡の一円や遠くは神奈川県まで分布していたことが知られており、鎌倉時代後期から南北朝期にかけての新田荘の代表的な交易品と考えられ、当該期における地蔵信仰の普及や中世新田荘の経済活動を知る上でも重要な石仏です。