鍋島直大宛て筆姫書状
なべしまなおひろあてふでひめしょじょう
概要
明治14年(1881)、特命全権公使としてローマ在勤中の鍋島直大に母の筆姫が宛てた書簡。
冒頭に「御ふみ下され」とあることから、直大から筆姫宛ての書簡に対する返書とわかる。直大からの書簡は現存していないが、筆姫のこの書簡によると、「朗姫(さえひめ)なども学文無く候てはよろ敷所へ縁談も出来申さずと仰せ下され、さぞさぞ御案じ申し遊ばさる御事」、「西洋箏ピヤノ稽古致させ度思し召し候よし、古ハ日本人に……ピヤノよふ出来候者なくて恥じ入り候と仰せ下され」とあり、直大がこのとき12歳の長女朗子(さえこ/1870~1949)の縁談を気にかけ始め、日本人にピアノの嗜みのないことを嘆き、朗子に「西洋箏」(ピアノ)の稽古をさせたいとの意向を示したことがわかる。
これに対して筆姫は、「実に今世の中にては女も交際上の関係いたし候間、これまた御同意」した上で、朗子の多忙な日常を報告している。
ローマの直大は自らの滞欧経験を東京にいる長女の教養教育にリアルタイムで反映させようとしている様子がうかがわれる。朗子はこの3年後、侯爵前田利嗣(旧加賀藩主家)に嫁した。