神野御茶屋図
こうのおちゃやず
概要
神野御茶屋は、弘化3年(1846)に10代佐賀藩主鍋島直正が造営した別邸。本図より製作時期が遡る造営計画図と見られる別本の図面の間取りと比べると、御茶屋(無限青山亭)の御式台周辺に改変箇所が見られ、付箋が貼られている。またこの改変後の間取りが現状に通ずることから、本図はのちの改築事情を示した絵図と思われる。
泉水の北東に位置する無限青山亭は平屋建・寄棟造・茅葺・入側庇桟瓦葺の建物で、間取図によると南側の「御入座・二ノ御間」を中心に一列並びの部屋が中庭を囲んで回型四方をなす部分と、南西部の泉水に面する別棟部分とで構成されている。一方、中島に建つ中島釣殿(茶雨庵)は東西に並ぶ二間と池に張り出した「拭板」と縁側からなり、池泉に張り出した部分には「御手スリ」がつき、東側には花頭窓がつく。