絹本著色涅槃図 無分筆
けんぽんちゃくしょくねはんず むぶんひつ
概要
七尾市小島町の日蓮宗寺院である長壽寺は、室町時代の長禄元年(1457)開創とされ、長谷川等伯の養家である長谷川家の菩提寺である。
「涅槃図」は仏教の開祖・釈尊が、沙羅双樹の下で宝台に身を横たえて最後の説法を終えて入滅し、完全な悟りの境地に至る場面を描いたものである。
本図は、横幅40㎝弱の絵絹を三枚つなぎ合わせたものに描かれており、室町時代中期から後期頃の制作とされ、保存状態は極めて良好である。
宝台の四方にはそれぞれ沙羅双樹が2本ずつ描かれ、頭を北に向け右脇を下にしてゆったりと横たわる釈迦の姿が豊潤な筆線で描かれている。また、嘆き悲しむ会衆や鳥獣たちの躍動感にあふれた描写、熟達した筆致や落ちついた色調からは、優れた技量が窺える。
箱には「等伯之画」と記されており、かつては等伯筆として伝承されてきたが、画面右下方に捺された朱文二重方形印の文字が「無分」と解読された。
この「無分」は、等伯の語った画事に関する事柄を本法寺第十世 日通上人が書き留めた『等伯画説』(重要文化財)において、「雪舟」から始まり、「等春」、「無分(無文)」、「宗清」、「等伯」へと連なる画系図に記載されており、本図は、その「無分」の現存する唯一の作例である。
永禄11年(1568)、等伯が三十歳の時に制作した妙成寺蔵「絹本著色涅槃図」(県指定文化財)と比較して、動物の数などに若干の違いはあるものの構図は全く同じであるなど、長谷川派の涅槃図制作に大きな影響を与えた基本作品であり、能登の長谷川派を研究する上でも、極めて貴重な作品である。