朝鮮通信使兵庫津上陸・宿割図
ちょうせんつうしんしひょうごつじょうりく・やどわりず
概要
宝暦14年(1764)に来津した朝鮮通信使上陸のために設けられた施設や、応接にあたって旅宿とした民家の状況を絵図上に記したもの。宝暦度には存在しない建物〇(朱)と新屋敷地□(朱)にはそれぞれ印が付されています。宝暦度には前回(延享度)の通信使来津時に旅宿とした民家の現況調査を行っています。次の文化8年(1811)は対馬での応接にとどまったが、兵庫津では使節団の来津に備え、前回の宿割りについて調査したのでしょう。施設の旅宿に供された町屋は、浜本陣を中心に南浜の船大工町、関屋町、新在家町、出在家町の4町において約50軒に及びます。正使・従事官は絵屋右近右衛門家、副使・上々官は網屋新九郎家、中官は肥前屋粘右衛門家を宿所としていましたが、この3家はいずれも西国諸大名の浜本陣をつとめた家々です。
【近世の神戸】