報恩寺跡本堂基壇出土瓦
ほうおんじあとほんどうきだんしゅつどがわら
概要
報恩寺跡は、明石市大久保町西脇字鳥ヶ谷に所在する中世の寺院遺跡で、天正6年(1578)の羽柴秀吉の三木攻めによって焼亡したと伝わる。平成4年(1992)の発掘調査によって、桁行5間、梁行4間で礎石が配された本堂基壇が検出され、その上面からは焼け落ちた多量の瓦が一括出土している。出土瓦に刻まれた「報恩寺」、「明徳四年」、「彦次郎」等の銘文は、明徳四年(1393)の報恩寺再建に際し、大和国法隆寺等で瓦大工職として活躍した橘氏一族が、出職として播磨国へ組織的に出張し、報恩寺の瓦を製作したことを示す。