王心渠像
おうしんきょぞう
概要
王心渠像
おうしんきょぞう
江戸時代、延宝7年/1679年
紙本著色
99.2×43.0cm
1幅
印章:「元規」(朱文方印)
賛:千呆性侒「正法眼」(関防印・朱文長方印)「心渠王翁居士像/此翁生年太性慥心/直口快説人過八十五/年翻転身没覚/虚空都撞破且道/撞破後■■透渠/即我仏是直心做/己未仲春/廣福住山侒千獃」「性侒」(白文方印)「曇瑞」(朱文方印)
来歴:池長孟→1951市立神戸美術館→1965市立南蛮美術館→1982神戸市立博物館
参考文献:
・九州国立博物館『黄檗―OBAKU 京都宇治・萬福寺の名宝と禅の新風』図録 2011
・神戸市立博物館特別展『コレクションの精華』図録 2008
・神戸市立博物館特別展『隠元禅師と黄檗宗の絵画』図録 1991
王心渠(1594-1678)は、福建省福州府生まれの貿易商で、長崎の在留唐人です。福州出身者のために創建された崇福寺の大檀越(スポンサー)として、隠元や即非を住職に迎え、初期黄檗宗の長崎定着を支援しました。喜多元規(生没年不詳)は、長兵衛のあとを受けて黄檗僧の肖像画制作にたずさわりました。現在までに200点ほどが確認されているが、本図は元規に数少ない俗人の肖像画です。眉や鬚にみられる細くしなやかな線描、顔貌にみられる微妙な陰影法など習熟した技法を動員し、外面のみならず、画主の内面まで描き尽すかのような迫真性を獲得しています。左隅に「元規」朱文方印を捺します。賛は、師・即非とともに渡来した中国僧・千呆性侒(1636-1705)で、即非退隠後の崇福寺住持です。
【長崎ゆかりの近世絵画】