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小袖 紅綸子地雪持笹桜模様

こそで  べにりんずじゆきもちざささくらもよう

概要

小袖 紅綸子地雪持笹桜模様

こそで  べにりんずじゆきもちざささくらもよう

染織 / 江戸

江戸時代・17世紀

綸子(絹)、絞り

1領

 小袖とは、袖口の開きが狭いという意味から来る名称で、今の着物の原型です。左袖(ひだりそで)から右裾(みぎすそ)にかけた大きな弧の中には、笹の葉に雪が積もっている様子あらわした「雪持笹(ゆきもちざさ)」が、右袖(みぎそで)あたりには桜がデザインされています。自然の四季折々の情景を着物の模様にするのは日本的な表現です。このような弧を描くように模様をあらわす大胆なデザインは、寛文期(1661-1673年)を中心に町人の女性の間で流行したことから「寛文小袖」と呼ばれています。
 模様はすべて「鹿の子絞り(かのこしぼり)」であらわされています。「鹿の子絞り」は、ほんの少し絹地をつまんで糸でぐるぐる巻きに絞ってから染める技法で、粒つぶで線や形をあらわします。よく見ると模様の線は紅地で、それ以外の部分が鹿の子絞りであらわされており、たいへんな労力をかけて作られています。小袖全体に鹿の子絞りをあしらった「惣鹿の子(そうがのこ)」は江戸時代前期には、幕府によって贅沢品とされ、禁じられたのにもかかわらず、江戸時代を通して流行しました。
 よく見ると右袖の桜模様が途中で切れており、もとは未婚女性が着る袖の長い振袖を、結婚後にカットしたものと思われます。また、雪持笹の模様も左袖と胴の部分を包む身頃(みごろ)でずれていることから、身幅も細身に仕立て直したのでしょう。着る人や時代に合わせ、何度も仕立て直されていることから、この小袖は大切に着られ、受け継がれてきたことがわかります。

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キーワード

小袖 / 綸子 / 模様 / 絞る

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