阿弥陀如来立像
あみだにょらいりゅうぞう
概要
仏像の手や指のかたちは「印」(いん)といって、仏さまの功徳や働きを象徴します。この阿弥陀如来(あみだにょらい)は、2本の指で輪を作り、右手を上に、左手を下にしています。これは、来迎印(らいごういん)と呼ばれ、人が亡くなったときに極楽浄土から迎えに来てくれる、その働きを表わしたものです。
この阿弥陀如来のように、来迎印を結んで立ち、高さが1メートル弱、昔の単位で言うと3尺で、からだが金泥(きんでい)と呼ばれる金色の絵の具で塗られた仏像は、鎌倉時代を代表する仏師快慶(かいけい)が作った当時大流行のスタイルです。
この仏像は、後頭部の内側に墨で文字が書かれていることがわかっています。そこには、真観という法師が近親者の追善(ついぜん)と自らの功徳(くどく)を願って、正嘉3年(1259)の2月から3月にかけて、当時21歳の仏師永仙(えいせん)に京都東山一切経谷(いっさいきょうだに)の木を使ってつくらせたことなど、この仏像をつくった経緯がたいへんくわしく記されていました。
古来、中国でも日本でも、仏像の銘文は台座や光背など、人の目に触れるところに書かれるのが常でした。しかし、日本で木彫像が主流になる平安時代ころから、仏像の内側など、簡単には見ることができないところに銘文を書いたり、仏像のからだの中に、仏塔などを納めたりするようになりました。仏の体の内側の聖なる世界に自分の願いを閉じ込めて、それがかなうことを強く願ったのでしょうか。あるいは、そうした強い思い、魂のようなものを仏にこめることによって仏が特別な存在になると信じたのでしょうか。
仏像を作った人の思いを想像してみると、また違った見方ができるかもしれません。
ところで、衣の繊細な文様もこの仏像の見どころです。髪の毛のように細く切った金箔を貼り付けて描く截金(きりかね)という技法が使われています。