都尉節使あて尺牘
といせっしあてせきとく
概要
尺牘とは手紙のことです。筆者の趙令畤は、宋の初代皇帝、趙匡胤(ちょうきょういん)の次男、徳昭(とくしょう)の玄孫(やしゃご)として生まれ、84歳の生涯を全うしました。宋時代の文化を牽引したスーパースター、蘇軾(そしょく)より15歳年少であった趙令畤は、元祐(げんゆう)6年、1091年、56歳の蘇軾が地方の長官をつとめたとき、部下として7年ほどを過ごしました。
蘇軾は才能豊かな趙令畤を愛し、人柄や才能ともに優れていると、朝廷に何度も推薦しましたが、その申請は採択されず、趙令畤が中央の官僚世界で活躍することはありませんでした。高貴な家柄の出身であるにもかかわらず、晩年は落ちぶれてしまい、臨終のさいにも葬式すら出せない極貧の状況であったと伝えられています。
趙令畤は文学や芸術のリーダーとして活躍する蘇軾に、ぞっこんほれ込んでいたようです。この手紙は、趙令畤が蘇軾らと交流のあった都尉節使(といせっし)にあてたものです。「都尉節使」とは地方の行政にたずさわる役職のことで、ここでは王詵(おうしん)という人物を指します。手紙は蘇軾の書の影響を強く受け、蘇軾の書にそっくりの書風となっています。おそらく蘇軾と潁州にいたころに書かれたものでしょう。右上がりの癖の強い書風が魅力的です。