太刀(岡田切)
概要
日本の刀剣を鑑賞するポイントのひとつに「刃文(はもん)」があります。刃文とは黒くみえる部分と白く見える部分の間にみえる、光り輝く線のような模様のことです。刃文は、13世紀から後の時代になると、直線的なものや、直線が緩んで浅い曲線を描いたようなものなど、各地の刀工たちによってさまざまな種類のものが生まれました。この太刀の刃文は、刃の幅が狭いところと広いところがあって、さらにかたちもさまざまで、実に賑やかな印象を受けます。よく見るとでこぼことした刃文が大小様々に繰り返されていていますが、こうした刃文は丁子という木の実に似ていることから「丁子刃(ちょうじば)」と呼ばれています。丁子刃の刃文は、13世紀に岡山県東南部で栄えた一文字派(いちもんじは)という流派の作品でよく見られ、吉房はこの一文字派を代表する刀工です。
15世紀に大きな勢力をもった織田信長という武将の次男、織田信雄(おだのぶかつ)が1582年の合戦の際、家臣の岡田重孝をこの太刀によって切ったということから「岡田切」と呼ばれています。