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絵葉書(高岡御車山)

えはがき(たかおかみくるまやま)

概要

絵葉書(高岡御車山)

えはがき(たかおかみくるまやま)

その他 / 富山県

筒井盛華堂(東京)

富山県高岡市

大正7~昭和7年頃/1918~32年頃

紙・印刷,彩色

各 縦14.2cm×横9.1cm

3葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-162

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

①「高岡御車山木舟町」

高岡市木舟町の御車山を斜め左から写した彩色絵葉書である。後ろには民家や電柱、少年の姿がみえる。
下部には右読みで「高岡御車山木舟町」「(K.T.)Ornamental-car at Kifunamachi.」とある。木舟町の読み方は「きふね」であることから、「Kifunamachi」の「na」は「ne」の誤りである。
表面には右読みで「郵便はかき」とあり、通信文の空欄が2分の1であることは、大正7~昭和7年(1918~32)に印刷された特徴である。「CARTE POSTALE/Union Postale Universelle.」(フランス語で絵葉書/万国郵便連合)、下部には右読みで「東京神田美土代町筒井盛華堂印行」、「KANDABASHI, TOKYO. TSUTSUI SEIKWADO SEI.」とある。
未使用。



②「高岡御車山二番町」

高岡市二番町の御車山を斜め左から写した彩色絵葉書である。山車には朱塗りの鳥居が載っており、その下に囃子方の姿がある。また、山車の周りには人々が集まっている。ちなみに、二番町の山車は7基の山車のうち、唯一車輪が2輪である。
下部には右読みで「高岡御車山二番町」「(K.T.)Ornamental-car at Nibancho.」とある。
表面には右読みで「郵便はかき」とあり、通信文の空欄が2分の1であることは、大正7~昭和7年(1918~32)に印刷された特徴である。「CARTE POSTALE/Union Postale Universelle.」(フランス語で絵葉書/万国郵便連合)、下部には右読みで「東京神田美土代町筒井盛華堂印行」、「KANDABASHI, TOKYO. TSUTSUI SEIKWADO SEI.」とある。
未使用。



③「高岡御車山小馬出町」(御馬出町の誤り)

高岡市御馬出町の御車山を斜め左から写した彩色絵葉書である。山車には子供が数人乗っており、その周りには人々が集まっている。
下部には右読みで「高岡御車山小馬出町」「(K.T.)Ornamental-car at Onmadashimachi.」とある。小馬出町の山車の鉾留は太鼓に鶏だが、この写真では御馬出町の胡簶(やなぐい)に弓矢の鉾留であることと、ローマ字表記が「Onmadashimachi」となっていることから、御馬出町の誤りである。
表面には右読みで「郵便はかき」とあり、通信文の空欄が2分の1であることは、大正7~昭和7年(1918~32)に印刷された特徴である。「CARTE POSTALE/Union Postale Universelle.」(フランス語で絵葉書/万国郵便連合)、下部には右読みで「東京神田美土代町筒井盛華堂印行」、「KANDABASHI, TOKYO. TSUTSUI SEIKWADO SEI.」とある。
未使用。




<高岡御車山> 国重要有形民俗文化財

高岡御車山は、通町、御馬出町、守山町、木舟町、小馬出町、一番街通り、二番町の7基あり、その構造、形式は二番町の車輪が2輪であることを除き、ほぼ酷似する。山車は車輪、轅(ワラビ手)、地山箱、高欄、幕押等からなる地山部分と心柱、花傘、籠、鉾留の飾山部分からなる。地山部分は、高岡伝統の金工、漆工の粋を集めた豪華な装飾で安土桃山時代の作風をよく残す。
7基に共通の形式である心柱、花傘、籠、鉾留、人形の飾山部分の構成は全国に例を見ないものであり、特筆すべき部分といえる。
空高くそびえる心柱は神の降りますところ、柱頭近くにある竹籠は古代信仰の臨時の祭壇に供える花を盛るもの、鉾留は竹で編まれた籠の編み放しのヒゲコを装飾化したもの、人形は心柱を伝って降りる神霊の宿る形代である。各部ともかなり装飾されているが神を迎える形代を良く具備し、古代信仰の古儀を今に伝える。これは、二上射水神社の築山行事に連なるものと考えられ、自然の山から動かぬ築山へ、さらに移動する山車への変遷を物語る資料として意義深い。またその歴史的背景に守山城、高岡城を居城とした利長の姿が垣間見えることも興味深い。


<高岡御車山祭の御車山行事> 国重要無形民俗文化財・ユネスコ無形文化遺産

 高岡御車山の御車山行事は、前田利長が城下の大町に御車山を与え、関野神社の春祭に、神輿の巡行を伴って奉曳したのがはじまりといわれている。
御車山祭は、4月3日の与四兵衛祭から始まる。これは、御車山の由緒格式を守った義人としてその霊を慰めている津幡屋与四兵衛にちなむもので、この日、祭礼の諸般について山町間の打ち合わせが行われる。
4月30日は、蔵出し、山飾り(宵祭)、5月1日は御車山曳揃えと奉曳、神輿渡御の次第で行われる。
祭の前日、各山毎に山宿で人形、幔幕、花傘等で飾り付けをし、入魂式や試楽奉納が行われる。
祭の当日は、早朝より組立、飾り付けを行い、祭神を招じたご神体を安置した曳山は、午前11時の坂下町の曳揃えから午後6時頃の御馬出町の曳別れまで、旧慣に従って一定の順路で市内を曳き廻される。山町の役員は、裃一文字笠に威儀を正して曳山の前を行く。町内の子供は、裃を着用して曳山に乗る。山大工・曳方は揃いの半纏に白足袋姿で奉仕する。また、囃子方は各山毎に祇園囃子や雅楽などを奏する、曳方・囃子方などは、近郊の一定の村から雇われ、囃子も代々引き継がれてきた。これらは他に見られない特色である。

(白鳳会・高岡市教育委員会『富山県 高岡市の文化財』2009年)

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