忘我
ぼうが
概要
ハンブルクの工芸専門学校を経て、ドレスデンの美術学校で彫刻を学んだ。制作のテーマとして人々の日常生活の姿を好んでとり上げていたが、1906年のロシア旅行で接した農民の姿に深く共感し、その傾向をますます強くしていった。翌年のベルリン分離派展に出品。時代の精神状況を庶民の生活感情の中に見出した力強いフォルムでこれを表現するという、まさに表現主義的な独自の彫刻を確立していった。当時のドイツ芸術界でもっとも重要な作家として評価されていたが、ナチスの台頭により頽廃芸術の烙印を押され弾圧されることとなった。あくまでドイツにとどまり、失意の内にその生涯を閉じた。 これは忘我という精神的な極限状態にある人間を、前方へと足を踏み出しながら両手をさせげ挙げ、絶叫しているかのように見える姿の中にとらえ、円錐という単純な基本形の中に簡潔なフォルムで力強く表現した作品である。彼は、この作品に《絶望》という作品名を与えようとしていたが、いずれにしても人間の内面に造形の主題を見出し、これを強く表出していくというドイツ表現主義彫刻の傾向をよく示すものである。バルラッハが独自の作風を確立していった1910年代前後の制作を代表する優れた作品である。(M.M.) ハンブルクとドレスデンで学ぶ。1895年-1896年にパリに滞在したが、1906年のロシア旅行は大きな影響を彼に与えた。ドイツ表現主義彫刻の代表者である。動勢を維持しつつ、素朴で重厚な量塊の形態を用いて、多くの主題を制作した。木彫、ブロンズ、陶彫を制作し、木版画や石版画にも優れた作品を残している。