伊豆大島
いずおおしま
概要
京都府に生まれる。彼の経歴には不明な点が多いが、中学時代は和歌山県湯浅町で過ごし、詩歌に興味をもち、また水彩画を描いていたようである。1921年頃に上京し、はじめは文学を志したが、1923年の関東大震災の後に本格的に油絵を描くようになった。この年、第1回新光洋画会展に入選。その後一時京都に戻り、1926年に再び上京して第7回帝展に《廃道》、第13回二科展には《田端変電所》を出品して初入選し、その自由で個性的な作風が注目されるようになった。彼の日常は、窮民街にある簡易宿泊所に寝泊まりし、酒場やカフェ、演芸場に立ち寄って描き、作品はすぐに換金して酒を飲むといった状態であった。そのような中で彼は下町の情景やそこで生活する人々の姿を、奔放ななかに詩情をたたえる作風で表現し続け、しだいに純化された世界をつくりあげていった。やがて健康を害し東京市養育院に収容された年の10月に亡くなった。 昭和12年大島旅行の際に描かれた作品である。同行した矢野文夫は、利行が大島旅行に非常に感激した様子を伝えている。海上から大島を描いた作品で、大島そのものは太い黒の輪郭線のみで流れるようにその起伏を描き、空と同化している。前景の海はそれとは対照的にさまざまな色彩と線で描かれ、荒海に大きく横たわる大島の全容の空間を開放的であると同時に動的に表現している。