津の停車場(春子)
概要
鹿子木孟郎は、郷里岡山で油彩画を学び、上京後に小山正太郎の主宰する不同舎で研鑽を積んだ。1900(明治33)年から4年間、欧米に留学、帰国後は京都で活動し、関西美術院で後進の指導にも当たった。肖像画を得意とし、堅実な作風を生涯貫いた。
本作では、橋の上に立つ和服の女性の後ろ姿が描かれている。遠景には、煙を吐き出しそびえる煙突も見える。鉄道や工場といったモチーフは、都市の近代化や近郊へのレジャーや産業の広がりを表象するものとして、マネやモネなど19世紀後半のフランスの画家たちが繰り返し描いた。鹿子木が本作において日本の近代化を描出しようとしたかどうかはわからない。むしろ、遠くまで伸びた線路に自らの人生を重ね合わせ、広がりゆく未来への期待を込めたのではなかろうか。和服の女性は、新婚の妻、春子である。鹿子木は当時、三重県尋常中学校に赴任中で、翌年に埼玉の学校へ転任、さらにその後に最初の欧米留学を果たした。人生というレールの、すべり出しの時期に描かれた、みずみずしさを備えた作品である。