上州藤原(旧雲越家)の生活用具及び民家
じょうしゅうふじわら(きゅうくもこしけ)のせいかつようぐおよびみんか
概要
みなかみ町藤原は、群馬県東北端に位置する地域で、ほぼ中央を南北に利根川が流れる。地域を取り巻く周囲の山々は、標高1500~2000㍍級の高山が続き、谷あいに20の集落がある。
生業は、周囲の山を利用する生活で、狩猟のほか、山稼ぎや炭焼きなどが盛んに行われてきた。また、生業の中心は農業で、山間地の水利の便を反映した小規模水田で第二次大戦後まで米が自給自足でき、カンノと呼ばれる焼畑農耕も行われた。
雲越家は、利根川支流の名倉川に沿った山口地区に居を構えた中層の農家である。最後の当主である仙太郎が生活を営んでいた当時の用具がそのまま保存されており、代々営まれてきた稲作や畑作のほかに、副業として養蚕、ワラビ粉やクズ粉の生産、炭焼き、木挽き、杣、付け木の製作などに関する用具類、自家用の生活物資を得るために麻・からむしなどの野生植物の採取したり加工したりする用具類などが網羅的に残されている。藤原では百姓のなり下がりは何でもできるといわれたが、雲越家の資料にはこうした藤原の農家の実態が具現されている。