銅戈
どうか
概要
本遺品の一括は、昭和四十二年二月、用水溜池造成工事に際して発見されたもので、具体的な埋納状態や伴出遺物は詳らかではない。しかし、周辺の春日丘陵には、須玖岡本遺跡をはじめとする、弥生時代青銅器の出土遺跡が密集し、本遺品もこうした歴史的風土と関わりが深い。同じ春日市内では、原町における銅戈四八口(文化庁保管)の出土例もあり、本例も同様な一括埋納例と考えることができる。
銅鋳。扁平な両刃造りの銅戈で、身の中央に不明瞭な鎬をつくり、比較的幅広い樋の基部には細かな綾杉文を鋳出す。鋒は鋭角に作り出されるが、刃部の研ぎ出しは全く行われていない。茎の片面に対の弧文が鋳出されたもの八例、直線文を鋳出すもの二例の他に、円形文、綾杉状の細線文を鋳出すもの各一例がある。遺存状態は良好だが、いずれの箇体も刃部片面の銅質劣化が著しく、かつての埋納状態が推測される。
銅戈の形態は、いわゆる中広形銅戈に分類されるものがほとんどだが、一箇体のみ中細形銅戈に近いものが含まれている。各箇体の形状・法量は比較的斉一性が強く、特に同笵と思われるもの三組八箇体が含まれている。本遺品は北部九州における弥生時代青銅器の一括出土例として注目されるとともに、その製作技術、特に同笵関係が把握できることからも、学術的価値の極めて高いものである。