下伊那のかけ踊
しもいなのかけおどり
概要
長野県南部の下伊那地方には、かけ踊、榑木踊【くれきおどり】、念仏踊などと称される芸能が多数伝承されている。これらの芸能は下伊那地方を含む三遠南信地方に濃密な分布をみるものである。
下伊那地方においてかけ踊とは、願をかける願かけ踊、一方では踊りをかけに行く(踊りに行く)ものと解されているが、かけ踊とは、踊り衆が行列をなして他の場所へ練り込み、太鼓・鉦を主要楽器として踊りかける形式のものと考えられている。災厄や祖霊等を送り出すという点に特色があり、盆や虫送り、雨乞い行事等と結びついて行われている。
長野県天龍村大河内では盆の新仏供養として八月十四日、および十六日から十七日未明にかけてかけ踊を行っている。十四日は新盆を迎える家がある場合、その家々へ踊りをかけて回る。
行列の一行は「南無阿弥陀仏」の旗を先頭に、切子灯籠、鳥さし、一の太鼓、鉦、太鼓、柳、笛で構成されている。新盆の家で一〇八本の松明あるいはロウソクを灯して踊り衆を迎え入れると、練り込んだ一行のうち太鼓、鉦、鳥さしは輪を作り、囃しながら腰を低くし躍動的に踊る。扮装は浴衣に下駄ばきであるが、鳥さし、太鼓、鉦を務める者は、白い垂【たれ】をつけた笠を被る。次いで念仏、和讃が行われ、近隣の人びとをも含め輪となっての手踊が始められる。太鼓踊から手踊まで、一軒の家で少なくとも一時間はかかり、新盆の家が多い年には、一晩で終わらないこともあるという。
十六日から十七日未明には、手踊の「八幡【はちまん】」を踊る。そして十七日を迎えると、かけ踊の一行は大河内内の庚申前に道行きをする。新盆の家では親類縁者から切子灯籠や提灯を盆の供養として贈られているが、これらをすべて持ち寄り、庚申前で太鼓踊、念仏、和讃が行われている間にそれらを燃やし、すべてが終わると後ろを振り向かずに帰るという。
大河内のかけ踊にみられるように、かけ踊は送り行事としての特色をもち、盆踊の形態と変遷を考えるうえにおいても貴重であり、地域的特色も顕著である。
所蔵館のウェブサイトで見る
国指定文化財等データベース(文化庁)