灌頂道具類
かんじょうどうぐるい
概要
高野山の山内菩提寺院の中でも弘法大師空海に深い関わりをもつとされる竜光院に、一括で箪笥に納められ伝来した道具類で、同寺では空海が唐の地において、師の恵果より総称した灌頂道具類と伝えて、特別視されてきた。灌頂とは師が弟子に法や血脈を伝授する儀式のことである。
蓋【きぬがさ】(一)表地の紅地錦はいわゆる平安様緯錦とも呼ばれ、神護寺経帙など平安時代後期の作風に通じ、蓋(二)表地の白地錦も、文様を浮き織りした浮文錦で、国宝懸守(大阪・四天王寺)など平安時代後期の作品に類似例が見られる。文様表現や賦彩も温雅な趣をたたえており、当初より胎蔵界、金剛界に対応する一対として、平安時代後期から鎌倉時代前期に製作されたと判断される。遺例がきわめて少ない同時代染織品の中にあって甚だ貴重である。
蓋幡【がいばん】四旒二組は傘蓋の四隅に垂下したもので、組紐や磬形金具の形状、線刻から蓋と同時期とみられ、傘蓋の付属品として製作されたと考えられる。小品ながら細部に凝った造作を示し、金属製円盤を組紐で綴って幡とする点も異色で古例に類を見ない。
竜頭は竿の先に装着し、傘蓋を懸垂するもので、形状、彩色技法などに差が看取され、また製作年代も(一)が(二)にやや先行するが、平安時代後期から鎌倉時代前期の様式を示し、木彫の龍頭としていずれも古例に属する。
傘蓋の軸は蓮華座の形状や漆箔の状態から、竜頭(二)と同時期の作とみられる。
宝冠二頭は金銀の薄板に透彫、線刻、打出などの金工技法を駆使し、内には錦や綾の裂を用い、火焔宝珠形舎利容器、瑠璃珠、冠繒、垂飾など、随所に贅を尽くした造りになる。躍動感のある宝相華文、細緻な金具類の形状、優美な蓮弁形垂飾の賦彩や截金など、傘蓋と同時期、平安時代後期から鎌倉時代前期の特色を示している。それぞれに金剛界、胎蔵界の諸仏、種子、三昧耶形が線刻や彩色で表されており、細工は同工で、一対として製作されたものである。この種宝冠は奈良国立博物館蔵品一頭(鎌倉時代、金剛界分)などがあるが、古い遺例はきわめて稀であり、現存最古にして卓抜な意匠と技術を示す逸品である。
明鏡は胎蔵界、金剛界の両部大日如来種子を示す一対の作である。片切彫ふうの幅広な線刻から、鎌倉時代末から南北朝時代の作と判断されるが、両部一対で残る明鏡の古例は他になく貴重である。また鏡箱は蓋の甲盛がわずかに嵩高くなり、室町時代の作とみられる。
瓶は胴部に線刻される幡の三昧耶形から、もとは正覚壇に据えられる五瓶の一つであったとみられるが、大壇中央に独立して据えられた可能性もある。大きくなだらかに張る胴部や三昧耶形を表す点は珍しい。口径に比して底径が小さく、重厚な造りや線刻から鎌倉時代後期の作と判断される。
塗香器および台皿は、法量や蓮弁飾りの形状から、もとは大壇上の六器の一つであったと思われるが、単独で塗香器として使用された可能性が高い。小品ながら細かい造作で、瓶と同時期の作とみられる。
宝冠一対と明鏡一対は、竜光院の法脈である中院流の灌頂儀式において、受者が伝授される秘密道具七種のうち二種にあたる。また傘蓋一対や瓶、塗香器は、灌頂を行う道場を荘厳する道具である。このように広く灌頂儀式全般に用いられる道具類がある時期にまとめられたものである。
灌頂道具のまとまった古例としては現存最古の一群である。加えて工芸史上にも特筆すべき稀少性と優秀な技術を示し、密教工芸史上その存在意義はきわめて大きい。
なお附の諸品は中院流の灌頂と直接の関連を見出し難く、時代や製作地もさまざまなため、ある時期にまとめられ、灌頂道具類とともに箪笥に収納して伝えられたと想像されるが、各々に時代や地域の特色を豊かに示して貴重である。
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国指定文化財等データベース(文化庁)